2016/03/20

妊娠/出産/育児 私の場合



息子、1歳のお誕生日を迎えました。なんとも言えない感慨深い想いに満ち、大きな仕事がひと段落したかのよう。

この1年10ヶ月なんぞ、後から振り返ればたいしたことないのでしょうけど、細かいことを忘れる前に記しておこうと思います。

◼︎妊娠発覚
我ながら女は強い。そう感じた妊娠発覚。

気が付いたのは、病気だと思い受診した小さな産婦人科の診察台の上でした。100%妊娠だと思っておらず「入院したら保険手続きどうしよう」とか「仕事どうしよう」とか、数ヶ月仕事を休まねばならないことだけを考えていた私に「おめでとうございます、妊娠ですよ」と、股越しにおじいちゃん先生が一言。

人間、全く予期していないことを言われると、状況が飲み込めず「あ、へ?え??あー?」とバカみたいに言ったことを覚えています。次におじいちゃん先生が「大きさから12週目だね。ほら、ジャンプしてるねー、元気な子だねー」と。この頃の胎児は「ジャンピングベイビー」というそうで、お腹の中で泳いだり、ジャンプを繰り返すそう。いわば、ニルバーナのジャケ写のような感じ。深呼吸してエコーのモニターを見ると、すい〜っと泳いできた我が子が「ニコッ♡」と満面の笑みを浮かべたようにみえたのです。

「やっと気が付いてくれた!僕、ここにいるよ!!」

この瞬間、どんな苦難待ち受けていようと、絶対に産む!育てる!この子は私が守る!そう思えた自分に我ながら「女は強い」とつくづく。なのに、産婦人科をでた瞬間、あまりに突然のことに一気に不安が押し寄せ、手の震えが止まりませんでした。

そういえば。何故、12週も気がつかなかったのか?これ、よく質問されますので、メモとして。

アウトドアをライフワークにしていた私、妊娠に気がつくまで、山や海、フェス、コンクリートの上を30km走るなど、おおよそ妊婦はしないことをしており、いわゆる生理がくるタイミングで出血していたため、ちゃんと生理が来ている!と思っていたわけです。(今考えると恐ろしいー) そして、自分の体内サイクルは女性の嗜みとして毎朝測っていたのですが、直近3ヶ月が激務だったためサイクルがずれていたと思われます。

このことに、いろいろ思う方、言う方、いらっしゃいました。「大人なのにちゃんとしていない」などと、ネガティヴなことを仰る方も少なくはなかった。ですが、我が子がこのお腹に宿ったのは、さまざまな、数え切れない偶然が重なってのこと。

「偶然は必然」

普通と違うことをする人にこの世はなんと冷たいのか!と暗い気持になったこともありましたが、本当に助けてくれる人が誰なのかに気付けたこの妊娠。やはり「必然」だったのだと思います。

話は戻って産婦人科の帰り道。手足の震えが止まらず、相談相手として思い浮かんだのが笑顔が素敵なみほちゃん。その日の午後、カフェで黙って話を聞いてくれた彼女。手をぎゅっと握って「よかったね!」と言ってくれた彼女がいたから、産む決心がつき、今に至ります。あの時、あの場所に彼女がいた「偶然と必然」。ほんと、不思議です。

◼︎妊娠期間
人生、バランス。

妊娠発覚〜公私共にさまざまな調整は、普通の「結婚して妊娠」コースの方は経験しない難関を乗り越えねばならず、なかなかにタフな妊娠初期でした。一方で体調面は、悪阻なく、毎回の検診も異常なく、体調面は全く問題なしの幸せ妊婦。

ですが。

メンタルの上げ下げが激しくなり、自分でコントロールできなくなるほどの変化を体験。これがとにかく辛かった。悪阻や切迫早産は周りに辛さを理解してもらえるのですが、メンタルの上げ下げは周りに理解してもらえないこと、そして、夫がいない状況では当たる相手もいないこと。しかも、これまでストレスの解消方法だった「強度のある運動とお酒とタバコ」は妊婦の私は全てNG。出口無しの待った無し!

そこに手を差し伸べてくださったのが、YogaインストラクターのTAMAOさん。週一回、葉山の海辺で体を動かすことでどうにかメンタルバランスを保っていました。そして、このyogaが後日の出産に大いに役立ったのです。

それと、出生前検査について。
35歳を過ぎていたので、医師から勧められましたが、わたしは検査しませんでした。お腹に命が宿ってから大出血を2回し、平日は激務、休日は危険なスポーツをしていたのに、お腹に残った我が子の生命力にかけてみよう!と思ったのです。

◼︎出産
案ずるより産むがやすし。

本格的な陣痛が始まってからたった3時間、分娩台に乗って僅か5分で産まれてきてくれた我が子。五体満足、元気すぎる泣き声の持ち主でした。

超高齢出産ですし、助産師さんも「明日になるねー」なんて呑気にかまえていたらの、超スピード安産。前日の検診で回旋異常とわかり、もしかすると、難産になるかも、、と覚悟したのに、あらら?の安産。最初から親孝行な我が子です。

この安産、yogaが良かったのかなぁと思います。もちろん、人それぞれですし、医学的な見解ではないのですが。陣痛が始まってから教えて頂いたyogaのポーズをベットの上で繰り返していたのが功を奏したのかと。期せずしてyogaに出会えてほんとうによかった。

そして、個人的にどうしても、時計が回る前に産みたかった理由がありまして。我が子が産まれた日は「新月」、そして私と相性のよい星座となる最後の日、だったのです。女性ホルモンが最高潮に達していたあの時は、思考が完全に女子、でした。占いを気にするなんてまさに女子。

それよりなにより、嬉しい偶然が。我が子につけられるタグの番号が「1」。数字が4桁あるなかで、奇跡的に「1」。新月に合わせて産まれたこの子が引き当てた始まりの数字「1」。この子が産まれたことは、私の人生の出発なんだなぁ。。と、出産で興奮した頭で朝日をみながらしみじみ思ったのでした。

◼︎産後
誰も教えてくれなかった!

妊娠出産の大変さはよく聞いていたものの、産後の大変さはあまり聞いたことがなく。でも、その実、産後のほうが大変!世の中のお母さんたちはこれを体験してきているのかと頭が下がる思いです。

体のあちこちが痛い、眠れない。少し経つと髪がどっさり抜ける、思ったようには体型は戻らない。そして、数週間外に出れない。

男性の育休が一時期騒がれていましたが、本当に、心底、男性も育休とるべきです。女性は命をかけて出産に臨み、生も根も尽き果てた状態で直ぐに育児が始まります。待った無し。女性である私自身、産後がこんなに大変だと知らなかったわけですから男性がこの大変さを理解できないことも理解できますが、妻が出産したばかりなのに、残業していたり飲み歩いている人、最悪なのは浮気している人(議員でいましたね)。私が知っている限りそういう方のほうが多い気がします。育児は女がするもの、俺は関係ない。そんなスタンスの方が実に多い。男ってそんなものと一言でかたずけるのは簡単ですが、我が子は男子、そんな男性にならないように、女性を慮ることができる男に育てよう!そう思った産後でした。

※もちろん、全力で育児に参加している方もいらっしゃいますよね。身近にもいます。でも絶対数が少ないと思うのですよね。特に昭和世代は。

◼︎育児
正解なんてない!

産後の苦難を乗り越え、我が子が人間らしくなってきた頃から、どう育てるかを真剣に考えるようになりました。

良しにつけ悪しきにつけ、育児の諸先輩方は「ご自身の育児論」を強くお勧めになります。それは、母の世代の方も、私よりも年下の方も、です。恐らくみなさん真剣に考え、知識を得た結果でしょうから人に伝えたい、その気持ちは手に取るようにわかります。私も知らず知らずにやってしまっている気もします。

ですが、育児&教育にたった一つだけの正解は無い!そう思うのです。相手あってのこと、我が子がどんな性格の子か、どんな才能を持っているのか、そして、親としてどう育てたいか。それによりアプローチ方法は千差万別ではないかと。世の中で生き抜いていける男に育てるためにはどうしたらいいのか。まだ、答えはでません。おそらくずっと出ない気もします。

高齢で出産し、女手ひとつで育てていく上でデメリットは多いのですが、メリットも多いと思っています。私が歳を重ねている分、若いお母さんよりも多くの経験をしていますし、その経験から多くの人脈があり、私でカバーできないことを補ってくれる方が周りにたくさんいます。ありがたいことです。

これは、なんというか、、負け惜しみではありませんが、結婚し、夫がいない状態での子育てはとても「自由」です。夫やその家族の子育て論に合わせる必要もなく、思ったように育てることができる。しかし、自由の裏には責任がついてきます。全責任を私がひとりで負うわけですが、歳を重ねているだけに責任を負う覚悟と環境をつくれる。

私がひとりで子供を産み育てる、と言った時、何人かのかたは「子供がかわいそう」と仰いました。一理あります。みんなが持っている者を持っていないのですから。そして、高齢出産した分、我が子が20歳になった時、私は還暦を過ぎています。でも、子育て環境の正解はひとつではありません。いろんな形があっていいのだと思います。デメリットをメリットに変える工夫さえあればいいのだと思います。

或る、若くアーティスティックなお友達がこんなことを言ってくれました。

「三歩先を行ってますね!ばりばり働いて自信もついた頃に、本当に好きな人の、いい遺伝子を紡ぐ。これからの世の中、どんどんそうなると思いますよ!いい遺伝子を女が選ぶんですよ!」

ほほぅ、なるほど。人間も動物である以上、メスがよい遺伝子を持つオスを選ぶ。逆に野生化している気しなくもありませんが、確かに、と。

凡人を遥かに超えた応援ができるお友達がいる幸せと、在るべき形から外れた家族の形、でも、これが本当の幸せ、無理をしてない私の幸せなのだなぁと、一歳になった我が子の寝顔をみながら思うのでした。

この1年10ヶ月で得たことは、山のようにあります。子供がいることが良いわけでもないですし、正しい家族の形が正解でもない。いろんな人生の形があって良いし、世の中、いろんな思いで生きている人がたくさんいるのだということ、今更、この年齢で、ですが、それに気付けたこと、それが最大の収穫です。

これまで助けてくれたお友達に感謝、育児を助けてくれた母に感謝、そして元気に産まれてきてくれた息子に感謝です。

 ここまで走り抜けたからなのか、突然の高熱。あ、私がです。疲れとかいろんな想いとか、デトックスで熱がでたのかなぁ。

2015/04/11

Childbirth, That was my experience.

 
 
 
「出産ストーリーにマニュアルなんてない。」 
 
それは本当だった。
マニュアルにできない、自分だけの経験をここに残しておこうと思う。
 
 
●出産10日前
 
お腹の強い張りが定期的に起こる・・・「前駆陣痛」?
 
●出産3日前
 
焼肉を食べると陣痛が起こる「焼肉ジンクス」。試してみようと近所の焼肉屋さんへ。お腹いっぱい食べたのに、陣痛は来ず。
 
 
●出産2日前
 
朝、お手洗いにゆくと「おしるし」が!だがしかし、陣痛は来ず。家でのんびりしているのも飽きて近所を1時間お散歩。ただ、お腹の張りがいつもより激しかった気がします。まだ咲いていない桜並木沿いを散歩し、「産まれるころには咲いているのかなぁ」としんみり思う。
 
 
●出産前日
 
検診日。おしるしが来たことを告げるも、子宮口の開きは2㎝未満のため「まだまだ時間はかかる」と告げられる。体重の増加が激しく、私の骨盤よりも赤ちゃんの頭が大きい可能性を懸念されレントゲン撮影をすることに。結果、自然分娩OKを主治医から頂くも、「回旋異常の可能性」を告げられ不安はつのる。
 
※回旋異常:逆子ではなく頭位だが、赤ちゃんの顔の向きが逆(ママのお腹側)を向いていて、出産時に回りながら出てくることができない可能性が高く、緊急帝王切開になることがある(らしい)
 
 
●出産当日
 
・午前2時
 
腰をつねられる程度の痛みを感じる、定期的に波のように押し寄せるので、ためしに「陣痛アプリ」で痛みの間隔を図ってみる。2~3分置きに30秒程度痛みが継続。「陣痛の始まりは30分間隔程度」と聞いていたので、こんなに短い感覚なら、陣痛の始まりではないと思なと妙に安心しつつ残念な気持ちになる。それでも「陣痛?」という思いが消えないため寝つけず、ベランダで夜の東京の景色を朝までぼんや~り堪能する。(もしかしたら前駆陣痛だったのかも)
 
・午前7時
 
再びうっすらと出血。軽い生理痛程度の痛みを感じるも、痛みの間隔はやはり2~3分間隔でお腹ではなく腰だけが痛い。「マニュアル通り」ではないので、朝ごはんを食べてから昼寝。念のためマタニティヨガの予約をキャンセルする。
 
・午後1時
 
カフェにお昼を食べに行く。ずっと地味に腰の痛みが続いていて食欲がわかない。
 
 
・午後3時
 
やっぱり、なにかおかしい!と思い、病院に電話をする。内診しないとわからないということで病院へ行くことに。念のため入院セットを持参し、あらかじめ手配した陣痛タクシーで病院へ向かう。
 
・午後4時
 
病院で内診。子宮口2㎝。初産であるのでまだまだ時間かかるが、念のため1日だけ入院と言われる。入院手続きをし、陣痛室へ通される。ここから2時間は本を読んだり、メールをだしたり、かなり余裕。「今日産まれることはないなー」という余裕だったのか?母に入院したことを連絡すると、病院へ来てくれることに。
 
・午後6時半
 
母、病院到着。安心したのか、急に腰の痛さが増す。お昼頃の痛みとはレベルが違う。。完全に、これ、陣痛だ!NSTのグラフも大きな山型になりはじめる。
 
・午後7時
 
破水!ますます痛みが増す。子宮口5㎝。NSTの値は最大値を振り切る。信じられない痛み!骨盤を内側からぐぐぐぐぐーっと広げられ、仙骨を割られるような感覚。陣痛の波が押し寄せる時は、私の呼吸に合わせて、母にテニスボールで仙骨を押してもらうとなんとか正気を保てる。そして、痛み逃しだったのか、ベットの手すりをバンバンたたいて「う"~~!」とうなっていたらしい。まさに陣痛で苦しむ妊婦の姿。数時間前、余裕しゃくしゃくだった自分が嘘のよう。陣痛くらい一人で乗り切れる!と思っていたけど、母が来てくれて本当によかった。誰かがいなかったら乗り切れなかった気がする。
 
・午後9時
 
定期的に押し寄せる痛みをこらえるのに疲れたのか、朦朧としてくる。痛みの間隔はずっと2分おき。「麻酔打って!」「帝王切開して!」と無理難題を助産師さんに乞うも一笑される。
 
・午後9時45分
 
回旋異常だったわが子、自身でまわってくれて正しい位置に。同時に子宮口が約10cmとなる。分娩室へ。一刻も早く産みたかったので、小走りで陣痛室へ向かおうとして助産師さんに怒られる。。。
 
分娩台にのると酸素マスクがつけられる。(あれ??)
助産師さんが教えてくれるタイミングに合わせていきむ。
医師がいきむ方法を教えてくれる。
 
・・・わが子は、でてこない。
 
医師の「吸引、しましょうか~」という声が聞こえた。「吸引は嫌~っ!」と思ったとたん、下腹がぐるぐる動く。なんと、私はいきまないのに、わが子が自分で出てこようとしたのだ!あわてた医師は吸引準備をやめて
 
「お母さん、もういちどいきみましょう!」
 
「んーーーーーーーーーーーーーー!」
 
 
☆午後10時9分
 
「ふぎゃー!」
 
たった2回のいきみで、完全な自然分娩で産まれてくれたわが子。
 
感動で泣くのかなぁ、私・・・と思っていたけど、産まれた瞬間に感じたのは「やっと終わった~!」という安堵感。そして、カンガルーケアとして、胸にわが子を乗せられ、思わずでた言葉は
 
「重っ・・・!なにこれ、重っ!」
 
わが子に会った瞬間、感動して涙ぐむと聞いてたけど、私の場合は、現実的な気持ちの去来と思わずでた現実的な言葉だった。
 
 
このあと、後処理いろいろが行われたが、まったく痛みを感じない。痛みになれてしまったからなのか、高揚していて痛みがわからないのか。会陰切開されたことも気が付かず、その縫合時も痛みをまったく感じない。これはこれでありがたい。
 
 
・午後11時
 
体をきれいにしてもらったわが子と再対面。はじめてのおっぱいを吸わせてみる。これも感動すると思ったのに、感動よりも、どこか気恥ずかしさを感じる。と、同時に母性がうっすらと湧き出てくるのを感じる。
 
その後、助産師さんが体を拭いてくださり、パジャマに着替えさせてくれる。間違いなく「産後躁」状態だったのか、助産師さんにやたらテンション高く話しかけるわたし。(迷惑だったろうな・・・)。その後、歩いてこの後5日間過ごすベットへ向かう。
 
体はへとへとに疲れているのに、寝付けない。ああ、私、感動しているんだなぁ・・・子供を産む経験はきっとしないのだろうと思っていたのに、私、子供を産んだんだ・・・・。自分が行ったことなのに、自分事に思えない「ふわふわした感覚」。子宮の痛みはなく、なぜか全身筋肉痛。そして、からっぽになったお腹が不思議でしかたない。ようやく「子供を持てて幸せな感覚」が体の底からあふれてくる。いろんな気持ちが行きかう、体験したことのない不思議な夜だった。窓の外が明るくなってきたころにようやく眠りについた。
 
 
<まとめ>
 
出産ストーリーはひとそれぞれ。
どんな出産兆候から始まるのか、どれだけ分娩時間がかかるのか、それは誰にも予測がつかない。私自身、こんな始まりで、こんな結果になるとは思わなかった。ただ、先輩ママたちがいう「出産の痛み、すぐ忘れるよ!」これだけはマニュアル通り。産んですぐ、まだ分娩台の上にいるとき「この程度の苦しみなら、もう一人いけるなぁ」と思った自分がいて驚いたほどだ。
 
 
<私と息子の出産>
 
・陣痛はお腹ではなく、腰だけが痛かった
・陣痛の間隔は最初から2~3分おき
・前駆陣痛→おしるし→陣痛→破水で出産
・回旋異常が自然と治った(わが子の頑張り!)
・出産時間は、本当の陣痛から7時間半
・2回のいきみで息子誕生
 
そしてなによりも大切だったな、と思ったのは。
 
自分が子供を産む、ではなく、お腹の子供と一緒に「出産を乗り越える」と思っていたこと。陣痛の間もお腹に話しかけ、「産まれるときはくるっと回ってこようね~」と言い続けたこと。自分ひとりじゃなくて、子供と一緒にがんばる!と思えたことで、42歳高齢出産でも超安産になったのだと思う。
 
産まれてきてありがとねー。
 
そして、陣痛は、母と息子と3人で乗り越えた!と思うとなんとも感慨深い。
 
 
<追記>
 
出産3日後、わが子を取り上げてくれた助産師さんがお見舞いにきてくれた。その時に教えてくれた「私が知らなかった出産ストーリー」を聞いてびっくり!なんと、へその緒がわが子の肩に絡まってしまい、分娩室に入った時にはわが子の心拍が下がり危険な状態だったのだそう。。。だから、私は酸素マスクをつけられ、たった1回いきんだだけで吸引されそうになったのだった。そんなことを微塵も感じさせず、余裕の表情で励まし続けてくれた助産師さんのプロ魂に感動。そんな助産師さん、まだ20代の若い方だった。生命が産まれる瞬間に立ち会う仕事をしていると、あれほど肝が据わるのだろうか?助産師って素晴らしい仕事だな、と思った。
 
:)
 

2015/03/16

The best way to release my maternity stress



つわり、高血圧、糖尿をはじめ、切迫〇〇などもなく、極めて幸せな妊婦だったわたし。だけど、唯一困ったのが「マタニティブルー」。ホルモンの変化や予期せぬ出来事への不安からか、妊娠3ヵ月~7ヵ月あたりまで、気分の上り下がりが激しく、とにかく、それが辛かった!


助産師相談の時間は、毎回、ぼろぼろ泣いてたほどに・・・
「とにかく、リラックス、リラックス。自分の好きなことをしなさい」と、助産師さんに言って頂き、「はて、自分がリラックスできることってなんだろう?」と考えた結果。【自然の中で体を動かすこと】これにつきる!と思い立ち、夏から年内は、毎週のように葉山に通いました。


写真はTAMAOさん のBEACH YOGA

葉山御用邸前のビーチで、日曜の朝一に朝日を浴びて、波音を聞きながら、TAMAOさんのエネルギーを貰いながらゆーっくり体を動かすと、する~っと、ストレスが体から抜けていき、マタニティブルーで辛かった5か月目~7ヵ月目を乗り越えることができました。感謝。


妊娠8ヵ月を迎え、お腹が大きくなってきた時点で、マタニティヨガに切り替えることに。銀座にできたマタニティヨガ専門のLAVAへ通うことに。「リラックスするためのヨガ」のため、当初は物足りなく感じましたが、臨月の今はちょうどいい強度。何よりも、同じ悩みを抱える妊婦さんたちとの交流が楽しく、これはこれで、いい機会を得たなぁと思います。


あと1週間で予定日を迎える今、
妊婦でも運動できる体でいられる幸せを感じています。


★その他、妊娠中の運動★

〇軽いトレッキング
妊娠5か月~7ヵ月の間、1か月に1~2回程度。
鎌倉トレイルや高尾山をゆーっくり、7km程度

〇日々のウォーキング
働いている間は、晴れた日に30分/日
産休に入ってから(36週目から)は、晴れたには10~15km

〇ホットヨガ
妊娠6か月まで、週1回程度。
後から知ったのですが、妊婦にはきつすぎる運動だったようです。


おそらく、元々トレイルランニングをやっていたからできたことなんだと思います。以前は数10㎞山を走っていたのに、妊婦になってからは、やはり、無理は効かず、10㎞を超えるウォーキングをした日はぐったり疲れたり、全身のむくみがでたので、マタニティさんの運動は「自分の体の声を聴きながら、ほどほどに・・」がベストなんだなーと思います。









2015/03/12

Where can I buy my maternity dress.......




営業職のわたくし。

妊娠5か月あたりから、ことごとくスーツが入らなくなりまして。だからと言って、高いマタニティウエア、ダサいウエアは嫌だしーと思って、海外サイトであれこれ探していたら、見つけました!ちょうどいい、ウエアを。

H&Mのマタニティウエア

プチプラ
かわいい
着回しできそ
な3拍子揃い。

しかも、日本でも展開してました。

マタニティワンピースをH&Mで1着、お腹に切り替えのない普通のワンピースをH&M、Forever21、ZARAで計4着(ただし、いつもより2サイズ大きいもの)、これに、いつも着ていたジャケットを羽織って仕事をしていたら、妊娠8か月まではお客様に妊娠を気が付かれず、しかも、かわいい着こなしでストレスなく仕事ができました♪


【結論】マタニティウエア買わなくても、なんとかなる!


日本のマタニティ服市場は、専業主婦の方をターゲットにしているのかプライベート用の服が多く、仕事着となるとものすごーく高い。でも、着こなし次第で無駄な出費なく過ごせます!


海外のプチプラマタニティなら
ASOSは秀逸

海外サイトでのお買い物に抵抗がなければ、欧米のマタニティブランドは日本のものとは比較にならないくらい可愛くておしゃれ。今後、妊婦さんのお友達へのプレゼントは、海外のブランドで購入しようと思います。

:)

2015/03/11

the baby is going to come out any minute now.

2015/3/11 in my room

あと少しで、ご対面予定。
せっかくなので、記録を残しておくことにしました。

いまだに、自分が妊婦だなんで信じられませんが、
このお腹はまさに、妊婦。

1年前には想像もしなかったこの生活。
数日後にはさらに変化する生活。

人生ってやつは、いつ、何時、何が起こるかわかりません。

だから瞬間瞬間をたいせつに、たのしく。

.....

2012/10/15

ほんとうに大切なこと

20121014 at Madarao,Nagano
photo by Akira


Madarao Forest Trails 50Km のリベンジを果たした。


山を50km走るということは、旅をするようなもの。
予想外のアクシデントに遭ったり、途中、素敵な旅の友に出逢ったり。
心が折れたり、心を強くしたり、無になったり。

人生におけるたいせつなことを見つけたり。



個人的回顧録だが、あの思いを忘れないために、ここに記しておこうと思う。


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1年前、様々な思いを持って、Madarao Forest Trails 50Kmにチャンレンジをした。結果は制限時間オーバーによりDNF(Do Not Finish)。ゴールは超えたのに.....。たったの12分オーバーし、悔しい結果となった。「あれだけ練習したのに、なぜ?」「あそこでなぜもっと頑張れなかったんだ!」と、後悔の念でいっぱいになった。そして、この状態のままではリベンジを果たせない。そう思った自分は、あれからの1年、練習量を増やす代わりに、練習方法や、環境を変えることにした。


それは、長距離になればなるほど「心」が大切だと痛感したから。


まず、自分の価値観にFitする仲間を見つけようと動いた。心地よく走れる環境作りに専念をしようと引っ越しをした。すこしづつ、何かが動き始め、心がよい方向に変わり始めた。

だが、レース3週間前からストレスにより胃を壊す。そのストレスは自分ではどうにもならない、ある種の相対的評価であり、価値観。レース前、ナーバスになり始めたときに、すっと、心の隙間に入ってきた負の感情スパイラル。「心を強く、周りの状況に流されるな」と思えば思うほど、歯車が狂い始めた。


そんな焦りいっぱいの中、迎えたレース本番。
言葉は強く、へっちゃら風を装うが、やはり、どこかおかしい。


今回はこの1年で得た素敵な仲間たちと出走。序盤、Kさんの背中を追い、Aくんとお喋りしながら進む。決してコンディション万全ではない中、心拍を上げないように心がけながら前へ進む。そして、私のトレラン女神Oちゃんに見送られ、トレイルへ。

1Aまで朝の美しい山の景色に感動しながら進む。















ところが、まだ5kmも走っていない地点で、胃痛に襲われる。きりきりと痛み、胃が絞られる。胃に何か入れようと、ジェルを飲むが、吐いてしまう。朝、食べたものもすべてを。トレイルを走るには「十分な栄養」を取りながら走ることが大前提。栄養を吐き出してしまうことに恐怖が襲う。


「今回もダメかもしれない」


そんな負の思考に見舞われる。歩いたり走ったり、だましだまし進むと、この1年で知り合ったKさんが後ろから「ガンバ!」と声をかけてくれる。そうだ、自分一人で戦っているわけじゃない。いけるとこまで行こう。

そして、なんとかたどり着いた2A。スタッフとして待機していた、Iっちーに「胃が痛い」と泣きつく。まだ15kmほどのこの地点で通常は胃を患わうことはない。だか彼女は「もう痛いの?早くない?」などと言わず、とっさに胃薬を探し、飲み方、調子が回復するタイミングを教えてくれる。そして私は感謝の気持ちから泣き始める。すると、私の目をまっすぐ見て、「泣いてもいいから、とにかく前に進もう!」と背中を押し、見送ってくれた。


その後、去年、足が攣り失速してしまった斑尾山への登りが始まる。チームメイトのKちゃんとゆっくりゆっくり、無理することなく登る。タイムや周りの状況に惑わされず進み、次の3Aへ到着。ここで、Yちゃんがスタッフとして待機していた。私の姿を見つけるや否や「不安は全部吸い取るから、大丈夫!大丈夫!」と母のような暖かさと明るさで言葉をかけてくださる。仕事をなげうって、私の出発に大きなエールを送ってくださった。感謝で言葉にならない。


胃の痛みも治まり、ここまで出逢ってきたみなさんの暖かさに触れ、徐々に調子が復活してきた。当初の計画も、全行程の半分、25km地点から本気を出そうと考えていたことから、迷うことなくスピードを出し始める。しかも、この地点からの数キロは、トレイルランナー垂涎の美しく走りやすいシングルトラックが続く。十数人の人を抜き、きゃっほー!と奇声を上げつつ走ったら・・・・


スピードに足が追い付かず、激しく転倒。


今まで、転倒は何度も経験がある。
崖から落ちたこともある。
それでも、なんともなかった。


が、今回は「ブチブチブチっ」と大きな音がするほどの捻挫を伴ってしまった。その瞬間、神を恨み空を見上げる。それでも、前に進まなくてはならない。悔し泣きをしつつ、歩いて次のエイド4Aへ向かう。沿道からの「頑張れ!歩くな!」という声援に「こっちだって、頑張ってんだよ!歩くのだって辛いんだ」と心の中で逆切れしつつ進む。


満身創痍で4A到着。ここでリタイヤを申し出ようとする。


が、神は私を見捨てていなかった。なんと、救護班の中に顔見知りがいたのだ。彼は私に「本来はこの状態であればドクターストップだね。でもね、僕も同じように捻挫して泣きながらゴールしたことある。あとは気持ちだけ。判断は任せるよ。後悔しない方法を自分で選んで」とテーピングしていただきながら、諭していただく。


正直なところ、こんな痛みは経験がない。
足はどんどん腫れていく。

この後の20km頑張ったところで、今年も制限時間に間に合わないかもしれない。
でも、ここでリタイヤするのと、限界まで頑張ってみること、どちらがいいか自問自答した。


やはり、後者だ。
次の関門までは頑張ろう。
いけるところまで行って、後悔しないようにしよう。


そして、足を引きづりながら進むと、去年、斑尾山で助けてくれたOさんが声をかけてくれた。彼も故障をし、行けるところまで行こうとしていた。そして去年の悔しさを知っている彼の顔を見た途端、涙があふれる。お互い「いけるところまで行こう!」と、抜きつ抜かれつしながら、次の関門を目指す。


そして、第二関門到着。
諦めていたのに、関門制限20分前に到着。


ここまで来たのなら、次の最終エイド5Aまで行こう。一歩足を進めるたびに、頭まで貫く痛みをだましだまし最後の山を目指す。だが、、胃に何も入れてないから、ハンガーノックとなり、気持ちまで切れた。再度、リタイヤを申し出ようとすると、そこに、私のトレラン女神Oちゃんと、奇しくも関門に引っかかりアウトとなった友人2人が私を待っていてくれた。


私はOちゃんに、「時間的に、ここからは走らないと制限時間に間に合わない。この足で走る自信もないし、気持ちも切れちゃった」と伝えると、言葉にはしないが黙って「諦めるの?」という顔をするOちゃん。そして、同じレースに出て、関門に引っかかってしまった2人の友達もいた。


・・・関門に引っかかった彼女たちは前に進みたくても進めないんだ。
・・・そうだ、私はゴールまで行く権利がある。


何がなんでも、ゴールへ行く決心をした。
ここからあと、7.7km。走らないと間に合わない。
限界を超えて頑張れるかどうかは、気持ち次第だ。


一足先に出発したOさんから「必ずゴールしろよ!」と言葉をもらう。そして時計を見ると、去年5Aを出発した時と同時刻になった。ここからどう戦えば間に合うか、自分は知っている。どこで諦めたらだめなのかを私は知っている。


ぐっと走ることに集中した。
足が痛いことに注力しないことにした。


すると不思議と、足の痛みが消えていく。
おそらく、信じられないくらいアドレナリンが出ていたのだと思う。


「いちに、いちに」と独り言を言いながら走る。
足を一歩前に進めることだけを考える。すべての邪念は消す。

前にいる人たちに、「一緒にがんばりましょ!」と声をかけながら走る。
今、周りで戦っている人たちは、私と同じ気持ちでいるはずだから。
私がこの旅において、友達や仲間からいただいた言葉を、彼らにかける。


残り4㎞。

知っている声が聞こえてきた。

オザが逆走してきた。


彼女は、つい最近知り合ったばかりの若い友達だ。だけど、どこか自分に似ているものを感じ、大好きな友の一人。彼女とハグをし、ゆっくり進む。だけど、嬉しさと悲しさと、いろんな感情が混ざってしまい、泣き始める。すると、過呼吸になってしまう。なんだかわけのわからない醜態を彼女に晒しながら進む。そしてミカリンも合流する。せっかく来てくれたのに「ごめん、今、いっぱいいっぱいなんだ。」と、彼女たちを制してしまった。


すると、黙って、後ろから追ってくれる2人。
涙が止まらない。でも、泣かないように必死で集中する。

彼女たちに対し、かっこつけること、大人ぶろうとすることも忘れ、ただ、一歩一歩、前に進むことだけを考えた。世界は自分だけのもののように感じていた。


続いて、Y子ちゃんに声をかけてもらう。でも、声を返すことができない。ムサシ(スポーツドリンク)を2杯手に渡され、背中を押してもらう。疲労や過呼吸の苦しさから、彼女に対しても余裕のない対応をしてしまう。


ゴールまであと2.5km
制限時間まで、残り、15分


ふつうに考えて、この足の状態や疲労ではゴールに間に合わない。だが、オザに「ぜってえ、ゴールしろよ!」と言われ、もう、倒れてもいいからと、歯を食いしばる。


また過呼吸で息がすえない。
無酸素でもなんでもいいから、とにかく前に進む。
涙で地面が見えない。


そして、制限時間5分前に、ゴールテープを切った。


ゴールには、この1年で知り合った素敵な仲間たちが待っていてくれた。
彼ら、彼女らの顔を見た瞬間、涙が止めどなく流れた。嗚咽というのはこういうことだと思うほど、泣いた。そして、レースプロデューサーの石川さんに声をかけて頂き、「やった!頑張った!」とハグしていただいた。


これでようやく、この1年の戦いが終わった。

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今回、何度も棄権しようとした。でも、その度に、誰かに助けられた。

自分の心の弱さを痛感した。

でも、そんな時に、背中を押してくれる存在がいること、
そういう人たちに逢うために動いたこの一年を思い返した。

トレランは身一つで戦う孤独なスポーツではない。
仲間の存在が、本来自分が持つ力以上のものを引き出してくれる。

本気になった瞬間、痛みや、苦しさなんて忘れられることを知った。
「絶対、やり遂げる!」と本気で誓った瞬間から、人間、信じられない力がでることを学んだ。


その「本気」も、自分一人では、絞り出せなかった気がする。


レース会場にいた仲間、友達。
レース会場にはいなかったけど、様々な形で応援してくれた友達、大好きな人。


みなさんがいたから、1年越しのチャレンジを乗り越えることができた。


この感謝の気持ちは、みなさんに返すだけでなく、これからトレランを始めようとしている方や、トレランではなくとも、何かにチャレンジしようとしている方へ、恩を送る形で恩返しをしようと思う。


そして、運動音痴の私をここまで引っ張ってくれ、トレランの魅力を教えてくれたトレイルランナーのヒロ、トレランの女神Oちゃんに、最大限の感謝を伝えます。ありがとう。


戦いを終えて今、思うのは。人生において「ほんとうに大切なこと」とは、人に対してどれだけ素直に感謝できるか、また、掛け値なしに暖かい言葉をかけることができるか。そんなことなんだと思う。何を持ち、何をして、ではなく、心の核を持っていること、そして、一番重要なのは。


仲間がいることだって思う。


※写真は、共に足を引きずりながら戦ったOさんとゴールで逢ったところ。

:)

2012/08/29

Lovin'

2010 Goa, India

今朝、5:00に起きて窓を開けたら、この写真に似た、朝焼けの海と空が広がってた。大きく大きく、海風を吸い込んだ。

そして、こんな景色を、好きな人と、観たいと思った。

im lovin'.

;)